As You Are

人生の後半、発見と学びの記録

までいな暮らし

〝までいな暮らし〟という言葉を初めて聞いたのは2011年の東日本大震災から少し経ってからのこと。

 

放射能汚染で全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村。そんな飯舘村でべこ(牛)と共に生きてきた酪農、畜産農家かあちゃんたちを描いた「飯舘村 べこやのかあちゃん

というドキュメンタリー映画自主上映された。

 

その中に出てきた

〝までいな暮らし〟

という表現にとても惹かれたのを覚えている

〝までい〟とは福島県北部の方言で丁寧な

という意味

 

までいな暮らし・・・

なんて素敵な言葉

 

飯舘村かあちゃんたちが

とうちゃんたちと共に

べこの世話をしながら

変わらず続けてきた、農山村の忙しくも豊かな暮らし。

それが震災で、原発事故で

一瞬にして奪われた。

べこを置いて故郷を去らねばならず、

家族もバラバラになった

生きる気力さえ失う程の絶望感に襲われる日々。

それでもべこやのかあちゃんたちは

冗談を言い合うことを、豪快に笑い合うことを忘れず逞しく生きる・・

 

私が住んでいた村のかあちゃんたちもだ

働き者の農家のかあちゃんたち

 

農繁期は畑や田んぼ仕事に、

農閑期には乾物や漬物などの保存食づくりに精を出し、

家々の周りは常に手入れが行き届き、

庭には四季折々の花が咲いている

 

畑仕事で使う道具たちは大切に扱われ

物を粗末にしない質素な暮らし、

までいな暮らしはそこかしこの

日本の村々に生きているではないか

いや、生き続けて欲しい

 

それからだ

疲れたから明日でいいや、

と言ってそのままにしていた

土で汚れた草刈り鎌や長靴を洗うようになったのは(おめぇ、そりゃ、あたりめえのことだべ〜)

 

今も、事あるごとにぐうたらに走りそうになる私に、かあちゃんたちの声が聞こえてくる「今日の仕事は明日に持ち越さないこと」

 

冬の始まり、干し柿づくりもかあちゃんの仕事

オーラ

オーラといえば

華やかさや威圧感などの

ちょっと強烈な印象を想像するけれど

 

私たち誰しも常に

何かしらのオーラが出ていると思う

 

喜び、悲しみ、怒り、不安感、喪失感・・

その時々の感情が

私たちの心、身体から滲み出ている

 

それを敏感に感じることが出来るのは

子ども

 

子どもの前では

否定的なことを言わないようにしたい

どうせ言葉が分からないから、と。

 

子どもは私たちが思うより

ずっとずっと敏感です。

 

だからせめて子どもといる時は

心から喜び楽しみたいね

それがたったの五分でも。

 

皆んな動物的本能を

持って産まれたけれど

大人になる過程でいつしか消えてしまう

三歳位までに?

何故なら

それを使わなくても生きていけるから。

言葉でコミュニケーションをとり

考えることが主体となり

動物的本能に基いた感覚は

無意識の領域に仕舞い込まれてしまう。

 

それでも

三つ子の魂百まで、と言われるように、

無意識の領域はいつまでも存在し続けて

その後の人生に影響を与え続ける

三歳迄の親子関係、環境、経験が

その後の人生に大きな影響を与える

 

大人になってもオーラを感じ取る時がある

 

初対面。

 

まだ言葉を交わしていないのに、

何となく気が合いそう、だとか

苦手なタイプかも、とか。

 

少し話せば変わってしまう、そんな印象も

深く付き合うと納得したりする

やっぱり第一印象、当たってたと。

 

余談ですが、犬も飼い主の感情を汲み取れると思っていて

 

飼い主が人付き合いのいい人で

いつも家には誰かが来て賑やかなら

皆に可愛がられる人懐っこい犬になり、

人間嫌いの飼い主ならば

いつもワンワン吠えたてる、番犬になる。

 

飼い主の感情に非常に敏感なのは、

それは微妙な主人の体温の変化や、

喜び、緊張、興奮などの感情により

皮膚から滲み出る物質の匂いを嗅ぎ分けるからだと聞いた事がある。

 

孫ができて、ばあば、じいじになって

我が子にできなかったこと、

子育てで後悔したことを反省し、

孫育てする人がいる。

 

子どものいない私には分からないけれど、

犬を飼っていた頃を思い返せば

反省、後悔ばかり。

ごめんね、モモちゃん

 

一度でも畑で栽培すると毎年出てくる菊芋の可愛い花

江戸時代へGO?

こういう社会があったらいいな

社会というより、コミュニティ

コミュニティというより、長屋のような。

 

そう、江戸時代の長屋。

もちろん、そのままタイムスリップする訳じゃない

現代といいとこ取りの融合

シェアハウスのようだけどちょっと違う

 

1つの長屋の軒数は10くらい

若い子育て世代あり、熟年夫婦や老夫婦、

独り身、シングルマザー(ファーザー)ありのごちゃ混ぜ世帯で構成されていて、

アットランダムに集める訳でもなく、

管理人が面接で決める

 

各家は国産材を使ったコンパクトな作りで、

1つの長屋には共に食事をしたりくつろいだりできるスペース、庭、子どもたちの遊び場、そして畑がある

 

基本的なルールがあり

詳細は皆で討議して決め、

長屋会議が定期的に行われる

 

長屋の最大の特徴は、助け合い精神にあり。

それぞれが、それぞれの得意分野を活かして

お互いに不十分な分野を補い合うこと。

 

料理が得意な人もいれば

大工仕事が得意な人、

壊れた機械の修理ができる人やら

電気工事ならお任せ!という人、

裁縫が得意な人もいるし、博学の人も。

私なら、野菜づくりと子守り、かな。

三人寄れば文殊の知恵、なら

十人寄れば心強いじゃありませんか。

 

そして、大人数より

少ない方がまとまり易い。

 

それぞれが単体で生活するよりも

負担を少なくし、より快適に、楽しく暮らせるようになれば・・

 

慶事を共に喜び、弔事を共に悲しみ合える、

そんな人が身近にいたら・・

他人でも家族のような関係が築けたら・・

人生が豊かになる。

理想と現実は違う、とは言っても。

 

妄想だと言われるかもしれないけれど、

こんな妄想してたら気が晴れるんですよね

 

市井の暮らし

変わりゆくもの

老人、と呼ばれる歳になると

あと何年生きられるか、と考える時がある

死が身近になるということで

怖くないと言えば嘘になるけれど

静かに待てたらいい、そう思う


40代半ばで移住した当時、集落には24軒の家があった


高齢化が進んではいたものの、60代後半から70代のお百姓さんはまだまだ現役、バリバリ働いていた

朝夕2回、犬の散歩で村の中を歩くと、そこらここらの畑、田んぼでは誰かしら作業をしていて、「犬の散歩かよ〜!」と手を止めて声をかけてくれた

一年で一番忙しい田植えのシーズンには、村中の軽トラックが軽快に走り回る

私が田畑にいると、トラクターで通りがかりに「一生懸命だなぁー!」と笑ってくれる・・


17年後に私が集落を出た時、家は13軒になっていた


老いて目も見えなくなった犬と農道を歩いても畑や田んぼには誰もいない

あんなに綺麗に刈られていた道路脇の草は今は生え放題


告別式に参列したのは一体何回だろう

両手ではとても足りない

集落まできてくれる送迎バスに皆で乗り葬儀会場へ

毎回、まるで親戚のお葬式に参列しているような、不思議な感覚に包まれていた

そしてまた、皆でバスに乗って集落へ帰る


次の日にはまた変わらない村の風景がある

皆、田畑へ出て働き、誰かしらの茶の間でお茶を飲んで笑い合う


たった17年のうちに、一人減り、二人減り・・こんなに変わってしまっても

あるがままに日々を過ごす村の人たち

その心中を察するのはおこがましい


死は突然に、不条理にやってくるのでなく、

日常の、時の流れの中のひとコマで

自然に、訪れるもの

抗うでもなく受け止められるもの。

そんな最後を迎えられた人は幸せ


だけど、やっぱり昔のように、

大勢の人たちにわいわい言って見送られる方がいいよね?

田舎の、昔のような活気を取り戻せない限り

この国の未来は危うい気がする

 

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最後まで上手く出来なかった田んぼの代かき

 

どんな未来?

戦後、たったの79年

電波で情報が飛び交い

人々は空飛ぶ車の話をしている

どこまで追求するの

経済と科学の発展、お金、便利さエトセトラ

そしてまだ戦争を可能にしている

 

〝観測史上一番〟の雨量、気温

何回聞いたか覚えられない

旱魃ゲリラ豪雨、竜巻

珍しくなくなって

38℃超えの気温が普通になって

毎日のように流される

テレビの画面越しの洪水の被害

目の前の光景になり得ないと

言えますか

 

昨年までスーパーに当たり前に並んでいた

野菜、米、魚、肉が

店頭から消えていく・・

そんな日が来るはずがないと

笑って言えますか

 

「Humanbeing is cancer!」

映画マトリックスの中で人工知能が放った言葉が忘れられない

 

考えられる人である所以の欲望も、

解決策を見つけられるのは

考えられる人だからこそ。

 

小さなことでもコツコツと

「チリも積もれば山となる」

 

そんなチリを集める私が小さく叫ぶ

「頼む、そろそろ出てきてくれー!ネオ!」

 

ほっとする、稲刈りが終わった田んぼの光景

今年もお疲れ様でした

田舎でサンバ

かつて暮らしていた町は十割蕎麦で名を知られており、10月の新蕎麦の季節には蕎麦祭りが催されていた。

人口3,000人余りの小さな町のメインストリートに、町内だけではなく、近隣の蕎麦どころのお店がテントを並べて味を競い合う。

 

我が集落でとれる蕎麦は美味しいと評判で(昼夜の寒暖差が大きいのと、土壌が適しているらしい)、蕎麦屋ではないものの、集落として毎年参加していた。

 

お客さんたちはテントをハシゴして味比べ。

地元産の野菜やカフェの屋台も軒を連ね、

時折りイベント会場で歌うシンガーの声が聞こえる。

殆どシャッターが降りている、普段は静かな通りが、その日だけは大賑わい。

 

そして、宴もたけなわの夕刻、新蕎麦祭りのメインイベントのはじまり、はじまり。

 

ピピ〜ッ!!

という笛吹の合図に続いて聞こえるのは陽気なサンバのリズム。

打楽器を中心とした鼓笛隊を先頭に、男の子のダンサーが楽しげに踊りながら続く。皆んな、麦わら帽やらカラフルな衣装をまとっている。

そして、やってきました、きましたよ、大きな羽を付けた、素敵な衣装の、妖艶に踊るダンサーふたり。

テレビでしかお目にかかれない、リオのカーニバルのダンサーだ!

 

沿道の人々は(特に男性陣)大はしゃぎで歓迎。意外と田舎の人たち、ノリがいい。

 

しかし、このさびれた片田舎でサンバ・・

漠然とした違和感を感じたのは私ひとりか?

まぁ、楽しかったからいいか。

久々に踊れたし。

 

後で聞いたら、町の商工会が20数万ほど払って、某大学のサンバ同好会の学生を呼んでいるという。

 

行進が終わってひと息、

私服に着替えたダンサーの女の子たちが、我が集落のテントに蕎麦を食べにやってきた。

 

「そうか、そうか。(何が〝そうか〟は不明)

大盛りにしてやっからな、食べっせ」

とは我が集落のオン年80歳の蕎麦打ち名人。

 

「ご馳走様でした〜♪」

と去っていく女の子たちの背中を見て、

名人、誰に言うともなくつぶやいた。

「あんなハダカにならんといかんとはなぁ。何やらワケがあんだわなぁ・・」

 

ひとり、心の中で爆笑の私でした。

 

情熱大陸にも出演した工藤めぐみさん

こだわり

料理、食事、掃除、洗濯、入浴、着替え、

睡眠、エトセトラ、エトセトラ。

 

生活の中でのひとコマにでさえ

やり方、十人十色、

使う物や手順にそれぞれのこだわりがある。

小さなこだわりから、

へぇー!と驚かされるようなものまで、

さまざま。

 

バスタオルは毎日洗濯、もあれば

週一回、もあり。

パジャマしかり。

バスタオル毎日だけど、パジャマは週一なんて人もいる。

 

掃除機派に

ホウキ派、雑巾掛け派、モップ派に、

全部やらないと気が済まない派。

窓はピッカピカ派に多少曇ってても気にしない派。

部屋の中スッキリだけど、引出しとクローゼットの中はmessyなんて人も(私だ)

 

唐揚げにレモン搾る派、搾らない派、

時々テレビで論争されてる。

 

ひとつひとつ、挙げたらキリがない程。

人それぞれ。

 

そんな、日常のこだわり・・

まぁ、その人が居心地いいならいいか。

迷惑かけてるわけじゃないし。

と言えたら同居生活、ストレスフリー。

 

とは言え、私、いまだに独り暮らし好き。

???!

 

一点の曇りのない空もいいけれど、光輝く雲とのコントラストもまた素敵